第十章 希死念慮との闘い

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発病してから未だに付きまとう願い(思い)
「死にたい」
「居なくなりたい」
「消えたい」
発病してから入院して前半までそんな思いが毎日、続きました。
思わなかった日はありませんでした。
仕事が出来なくなった無念さ、母に世話をかけてしまっている辛さ、なんでこんな事になったかと言う憎悪、昔の嫌なことまで思い出す。
色んな感情、思いに心が耐え切れなくなって無意識に考える事は
「死にたい」
が一番先に出てきました。
私の場合は
「初めから存在しなかったかのようにフッと消えたい」
思う事が常でした。
そうすれば誰にも迷惑はかからないのだ…と
しかし、当たり前だけどそんな事出来るはずもなく心はさらにもやもやします。
そうすると考えるのは
「いかに楽に死ぬか」
です。
自殺サイトを読み漁ったりして楽なのはやはり練炭だろうと結論づけました。
あれは苦しいと言う噂もありますが。
実家療養をしていた時期にSNSで友達になった女性とそんな話のやりとりしていて
「じゃぁ、一緒に死のうか?私、車持ってるし」
という話にまでなりました。
何故、思い留まったか…まわりのへの思いか自分の心かわかりませんが…
それでも「死」への「憧れ」はどんどん膨らんでいきます。
このように「死ねない人」と「死ねる人」の差はどこにあるのでしょうか?
希死念慮も自殺企図も症状は一つの根っこです。
「死ねない人」は症状が軽いのでしょうか?
「死ねる人」は症状が重いのでしょうか?
私ははどちらも天秤に架けるものではなく、苦しみは同じ苦しみと考えます。
死んだらホントに楽なのか、魂は苦しみ続けるのかはわからないのですから
しかし、入院して色んな病気の方々と交流してるうちにそんな希死念慮は「影をひそめて」くれました。
しかしリアルに…退院して4年たった今、再び希死念慮を意識するようになりました。
「影をひそめて」ただけだったんですね。
鬱初期の希死念慮と同じく
「初めから存在しなかったかのようにフッと消えたい」
と…
でも発病当初よりは冷静に捉えてる自分が居ます。
労働意欲もわかず社会復帰も諦め気味
社会復帰したい気持ちはあるけどまたおかしくなるのではないかというトラウマに捕らわれて一歩踏み出せない自分
最近ではバイト募集の会社や転職斡旋会社のCMを見るのもしんどいです。
こんなくその役にも立たない人間はいない方が良い
しかし上手く生きようって思いはある
少しでも稼ごうと思いやってみた事はない事もない
今も色々あがいている
この執筆活動だってそうだ
でも何もかも上手くいかないから死にたくなるのだ
そうなると考えるのはやっぱりどうやって死ぬか
誰にも迷惑かけずに死ぬ方法は何か?
毎日ではないけど時々浮かんできます。
まだまだ闘い半ばなのだなと知りました。
でもきっと何も世界は変わらない
私が居なくなっても







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